このシューズは初期のNIKEのヒット商品といえるでしょう。当初はオーボリという名前でスカイブルー白、赤白の二色展開してましたがその後この紺白に変更しました。さらにその後、このオーボリを履いた当時のNIKEの契約選手が73年のボストンマラソンで優勝したことと、オニツカも当時同商品を同名で扱っていた事から「ボストン'73」と命名されました。
初期タイプのヒールに縦NIKEが印字されていていないものも存在しておりますが、こちらは縦NIKEが確認できるので、完全にボストン'73と命名された後の商品でしょう。
これは町田のショップでかなり激安で発見しました。しかもタグに「NIKE筆記シューズ」とだけ書いてあり、まるでモデル名不明商品扱いだったのでラッキーでした。
他のシューズと違いヒールも低い上に丸みを帯びてプカプカしているので丁度エアモックの様な履き目になり、色が地味なのにかなりかわいいです。普段はくるぶしが見える様な短めのパンツに合わせて履いていますが、少し大きめのサイズだと見た目のバランスも丁度良いと思われます。
後にこのシューズの後継者ニューボストンが発売されますが、こちらもアッパーにスエードのガードがない特徴が受け継げられています。…が履き目の印象は個人的には全く別物な感じがします。
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NIKE初のメッシュシューズとして1976年に登場しました。タグが筆記体の時代のうちに黄橙に変更されたのでこの配色のシューズは筆記体タグしか存在しません。
NIKEはこれまで履きやすさ、走りやすさ、通気性等スポーツシューズ本来の機能性を探究し続けていました。そんな訳でこのメッシュシューズも完成された訳ですが、このシューズを黄橙にマイナーチェンジする頃からシューズを鮮やかにする事だけでなく「このモデルにこの色あり」みたいにモデル別で色の差別化をするようになっていったのです。このやり方に我々NIKEビンテージファンはヤラれてしまったと言っても過言ではないでしょう。その後色々なカラーで新モデルが続々発売されていったのです。
LD1000紺黄は現存する数が黄橙に対してかなり少ないのはいうまでもありませんが、黄橙の筆記体より少し多い位でしょうか。それでも結構レアなシューズです。
自分はこのシューズを俗にいうNIKEブームの時に入手しましたんでかなりの金額を出しています。(このHPに紹介したシューズ第3位の高額購入)渋谷のショップで購入しましたが、当時仲間内で黄橙を持っている奴がいたのでこのカラーに絞って探してた思い出があります。他のUCLAカラーのシューズと違い、スエード部が黒ずんできて独特な風合いをもたらすのもこの配色の大きな特徴です。 |
当時あまり売れてなかったんですかねぇ。
ナイロンやレザーに比べると極端に数が少ない印象で…。後の台湾ラインに移ってからもさらに見ないですもの。
まぁオーボリスエードしかりこの頃のスエードシューズはあまりランナーにとって需要性がなかったんでしょうね。確かに走ってて何か違和感ありそうですもの。雨にも
弱そうだし…。
ちなみに自分も良いサイズで買った割には穿く機会があまりないです。これも何故か日本では作られてないようなのでUSA製で買いました。
まぁこうして見ると格好良いんですけどね。 |
これも結構後に手にいれたんだよなぁ。何か見た目はそこら中にあるスニーカーだったんで後回しになっちゃって。
ただこうして見てると筆記体はやはりかなり少ないですよね。あまり売ってるのを見た事ないですもん。
これも友人に激安で譲ってもらった一つなんですが、その友人は昔これを穿いて出掛けて帰りの駅で雨が降って立ち往生。普通の人だとここは頭が濡れないようにケアするのですが、スニーカーファンは違います。何と彼はこのシューズをぬいで洋服で隠し裸足で走って帰ったという伝説を持っているんです。まぁその位大切な前オーナーの後に所有してるんで大事に穿いてますよ。はい。
ちなみに後期はタグがブロック体に変った後、穿き口の内側が黄色にマイナーチェンジし(写真右側)最終形は単色タグまで存在する程のロングセラーになりました。
ちなみにこの青黄になる以前は赤白で売られていました。とにかくNIKEのランニングシューズの中でもコルテッツに並ぶ代表的なヒット商品です。
ブロック体以降なら原宿を一周すれば一つは見つかるはずだし、金額も比較的安いのでお一ついかがですか? |